昭和43年9月14日 夜の御理解
神様を信ずるということ、これは神様が信じられるということは、この上もない幸せに繋がることです、神様が信じれれるということは、もう最高に幸せなことです、ね、ですからお道に信心、金光様の御信心をさして頂く者は、この神様を信ずるということはどういう事かと言うと、教えを信ずるということです、私は今日はそのことを頂いてからもう私も今日はびっくりするほど有り難いと思いました、神様を信ずる神様を信ずると、なるほど信じております、もう様々なもうこれは私のことでも、自分の体験から、本当に神様は、本当にない命でも助けて下さるし、ね、どのような人間関係でも、っとに神様が、あ~、もつれにもつれておるような問題でも、それこそスキグイですくように解決のおかげを下さるし、もうこれは様々な意味合いにおいて、神様を信じなければおられないほどのおかげを頂いてきてる、ね、けれども、その神様を信じるということがね、金光様の御信心は、そういう病気治しとか災難避けとか、ね、そういうようなことのために、のことではなくてですね、え~私共がこの教えを信ずるということ、ね、教えを信ずることによって、人間が出来る、人間が助かる、心が助かる、それに、今言うように枯れ木に花の咲くようなおかげもまた頂かれると、ですからね私共は、あ~神様を信じようというてもなかなか神様がござるやらござらんやら分からない、形にも見えないし、姿にも見えないのですから、声が聞こえるわけじゃないのですから、ね、ですから私共はその教えを信ずる他ないのです、ね、教えを信ずるところから神様の働きをもう間違いなく現していくことも出来る、自分自身も助かって行くことが出来るのです、はぁ~私はこういうような、あ~、今日は今朝、今晩頂いてですね、ははぁ~金光様の御信心とは、神を信ずるということは、ね、教えを信ずることだと、ね、してみると、教えを信じて疑わずにそれを私共の行いの上に現して行くということだと、ね、教えを信ずる、素晴らしいことだと、何故って、その教えが今合楽の御広前では朝から晩まで、その教えを頂いておる、ね、その教えを私共が頂いて、その教えを信ずるところに、私共の幸せ、絶対の幸福、が頂かれるのである、ね、そこで私達に、銘々がその私共が誰にでもやはり信じられる人にならなければいけない、教えを頂き、教えを身を持って行じさしてもらって行く内にです、ね、これは神様の御信用を頂くと同時に人の信用がついてくる、ね、人の信用がつくということ、人から信じられるということ、「いやぁあの人に限ってそんなことは」と、という風にですね、人から信じられるということは有り難い、親が子供を信じる、ね、子供が親を信じる、こんなに素晴らしいことはない、ね、そこでその信じようと思うけれども信じられないのが事実である、内の子供を信じたい、本当に信じたいと思うけれども、形の、を見よるとどうも信じられない、子供として親を信じたい、親が信じれれるというのことがこんな幸せはない、親が信じたい、けれどもあのお父さんの姿あのお母さんの姿を見とったら、お母さんが信じられない、ね、そこに言わば人間的の悲劇があるのですよ、ね、ですから信心を頂く者がまず信じられる私にならなきゃいけん、それにはまず私共が教えを信じ、ね、教えを私共が生活に現して行くという生き方の上に、必ずこれは親にも子にも、または誰からでも信じられる私になることが出来る、有り難いですね、今あの御祈念前に、善導寺の原さんがお届けされました、お届けしながら、「有り難いですね」って言いながら、私も感動する、原さんも感激してからお届けしておられるのです、それが人の事ですけれども感動しておられるんですよね、「有り難いなぁ、信心ちゃぁ素晴らしいなぁ」というわけなんです、ね。
あの先日から、あ~久富繁夫さんところの娘さんのかずえさんっち言うのが、う~、あちらの洋服屋さんですから、原さんところに何かお洋服かなんか注文してあった、それを今日もうその取りにみえた何かだったんでしょうか、で今久留米のマルエに努めておられる、で普通の時には良いけれども、お~残業何かん時にはもう遅うなるわけです、久富さんというのは土居の方ですから、それこそお~あの船端から土居までは、あ~誰もいない畑、田の中ばっかり通って行かなきゃならない、それで「かずえさんあなたはもうあぁこげん遅うなったなさった時なんかは家から誰か迎いにきよっなさってすか」っち言うちから、「いいえ」っち言うちから、「あらぁもう私どんでんえすかところへ良~う帰りきなさるですね」っち言うちからその言うたところが、かずえさんの言われることがです、「おばしゃま、もう家には父が毎日私のことをお届けしてくれよりますけんで、安心しとります」というようなことを言われたっち、「父が毎日私のことは神様にお願いしてくれよりますから」ね、これは私は取りも直さずですね、神様を信ずるというよりも、お父さん、繁夫さん自身が娘に信じられておられるということだと私は思うです、そういう父親を持っておる子供は幸せだなとこう思う、ね、「まあおやじが参りよることは参りよるばってんから、あの風ば見るなら金光様はどげな神様じゃ分からん」と言うようなことでは、例えば父がいくらおねっ、それは親だから子供の事願わん親はありませんよ、ね、けれどもそれを例えば信じてくれないなら、ね、困ったことですけれども、父が毎日お願いをしてくれておるということをです、信じておるというのである、ね、その話しを、おぉその原さんなさりながら、かんっ、自分も感動しておられるんです、何という素晴らしいことじゃろかと、親が子を信じ子が親を信じれれるということは本当に幸せなことだなぁということである、ね、それはお父さんの久富さんが、神様を信じておられるということは、教えを信じておられるからなんだ、親先生の言われることを信じておられるからなんだ、それが子供にも信じられる、そういう結果が生まれておるとこう思うですね、ね。
高橋正雄という偉い先生の言葉の中に、「教祖我を救える」という言葉があります、ね、金光教祖、教祖様が、ね、教祖様がお道を開かれ、ね、金光教という信心を天地の親神様のご依頼によって開かれ、そしてその天地の親神様から受けられたおかげを話しにして聞かすのぞとこうおっしゃる、それが金光教の教えなのだ、ね、その教えが高橋正雄先生を救うた、どのような場合でも教えをひも解いたら、そこに自分の助かりを感じられた、何という素晴らしいことだろう、ね、言わば「教祖我を救える」ということは、「教え我を救える」ということだ、ね、教祖を信ずるということは神を信ずることであり、教えを信ずるということは神を信ずるということなんだ、金光様の御信心はそれなんだ、神様を信じておりますということは、ね、教えを信ずるということなのだ、そこから教えを身を持って本気で一生懸命に行じなければならないということが分かります、「先生はあげん言いなさるばってんそげなんわけにはいかん」もうあなたは神様を信じていないということなんだ、それでおかげの頂けるはずがないことが分かります。
今日も、久留米の佐田さんが二度めのお参りの時でした、ここに色々、あ~、私お話しを聞きよってから私も本当に有り難いと思ったんですけれども、う~最近、おじいちゃんが、にあのズボンを作ってあげられるはずじゃった、それで、え~あの、ズボンを作からおじいちゃんどんな色合いが良いですかと、背広の上等のを持っておられるけれども、お~上着は着らずに下着、下だけをはかれるから、それではいよいよ他所に行かれる時は困られる、だから代えズボンを作ろうというのである、そしたらおじいちゃんが言われることがです、「もう良か」って言われた、「もう三年生きるや五年生きるや分からんとにもうそげなん高っかもん作らんで良かばい」っち言わっしゃった、もうそれを聞いたらその嫁さんのその、あの兄がですね、「あらぁもう本当に家のおじいちゃんな三年先五年先死なせちゃ分からんとにこげなこっちゃいかん」とこう思うたと、「これはもう本気でおじいちゃん孝行せにゃ、これはもう間に合わんぞ」とこう思うたらもう何か知らん感動したとこういう、教えがこれに蘇ってくるのですね、「年寄りを大事にせよ」といったような教えが蘇ってくるのです、ね、ズボンを買う買わんは別としてです、ね、もうとにかくおじいちゃんの元気な内にせめておじいちゃんの隠居所ぐらいは造らせてもろうて、一つあの、楽し、楽しゅう生涯を終わってもらわにゃこれはもう嫁としてもうこれはもう相すまん、もうその事をしきりに今日は考えさして、その昼参ってきたとこう言うのである、そこで私が申しました、「そうだな、おじいちゃんになるほどお洋服を作ってあげることも有り難い、隠居所を造ってあげることも有り難い、けれどもね、おじいちゃん自身の心の中に、おじいちゃん自身の心の中に、ね、光が与えられる、おじいちゃんの心の中に生き生きとした喜びが感じられる、それを差し上げる、それを頂いてもらうということの方が先決問題じゃないだろうか」と、隠居所は立派に出けた、着物も立派に出けた、なるほど喜びなさるかもしれんけれども、真実の喜びはそれじゃないのじゃなかろうか、いわゆる教えを分からせる、教えによっておじいちゃんが、支えなさるといったようなおかげを頂くためにいよいよあなた方の信心がね、おじいちゃんに信心がこう意向していく、いや移っていかなければいけない、「本当に親先生そうでした」と、「本当に隠居所を造ってあげることでも、(?)洋服を作ってあげることでもない、本気でおじいちゃんに金光様のみ教えを本当に分かってもらうということです」と言うて、次ぎにまた話されるんですよ、
何か今日新聞に、い~、日夕の病院長が自殺をされたという記事が載っておったそうですね、私はそれ見ませんでしたけれど、70何歳、久留米のクス病院の弟さんになられるそうですね、それこそもう70いくつで健康でもある、ね、いわゆる地位も名誉も十分に持っておられる、もうお金などは勿論ありあまるように持っておられる、しかも日夕の病院長と言やぁ大した言わば地位である、そういう人が何故自殺をしなさなければならなかったか、何故自分で自分の命をたたなければならないようなことになってきたのか、ね、「先生只今の御理解を頂いてそのことを直感いたしました」っちこう言う、その新聞で見たそのことを、ね、もしそのおじいっ、その病院長にです、もし信心があったならば、もし金光様のみ教えというものを身に付けておられたならば、ね、原因というのはもう実に小さいことであった、沢山の遺書が書いてあった、その遺書を見ると、もうそれは例えば病院長が止められないといったような、その、事が原因だったらしいですね、何故、それこそ反対に喜ばなければならないような事を苦に病んで自殺しておられる、ね、そういう意味で私共が段々おかげを頂いて、その教えそのものが私をいつも救うてくれる、助けてくれる、教えがいつも私を支えてくれる、ね、そこではたしてです金光様の御信心を頂いておる者が、はたして教えに支えられておるであろうかということなんだ、ね、金光様の信心さして頂きよってもやはり自殺する者もある、ね、いかにその教えというものがです、身に付いていないかと、ね、信ずるというなら教えを信じなければならない、ね、神を信ずるということは教えを信ずることなんだ、親先生の一言一句を信じることなんだと、ね、そこからです、私共の言わば、どのような場合でもどのような事に直面しても、私共の助かって行く道が必ず開けてくる、そこにおかげが伴うてくるというのが、お道の信心じゃなからなければならない。
人間ですから、いつでも、お~、機嫌の良い時ばかりありません、ね、心が暗くなることもあります、ね、歯がいい思いをすることもあります、腹の立つ事もあります、ね、けれども私は思うのにですね、教えが私のものになっておるならば、結果はどういうことにならなければならないか、神様に信じられ人にも信じられる、ようなおかげを頂くためには、どういうみ教えが私の信心、私の信心であり、私を支えておるかということ、私はもうこういう風に今日は思う、思うたんです、ね、どのような場合でもです、どんなに腹の立つような問題でも、どんなに寂しい思いをする場合でもです、よくよく自分という者を、一遍見つめさしてもらい、そして日頃の教えをジーッと思わせて頂きよったら、結局は誰でも無かった彼でも無かったこういう事柄のためでも無かった、結局は自分自身の心の貧しさであった、いや悪いのは私であったと分からしてもらうということ、この答えが出てこなければです、いけないということです、そういう答えがいつも出てくるようなおかげを頂かして頂いた時に初めてその人は教えによって救われておる、助かっておる、いわゆる教えによって支えられておるというのはそういうことだと私は思うですね、そりゃありますよ、心が真っ黒になるような事もある、腹ん立つ事もある、ね、けれどもです、ね、その例えば数時間後、または、あ~その事が考えぬかれたその後にです、「はぁ本当に私が、私が悪かったんだ」と、ね、いわゆる、我良しと思う心を、それこそ(カタキ?)のように思うて日頃精進さして頂いておらなければそれが分からない、人じゃない、ね、私が悪かった、ね、その答えが出てこなければあなたの信心な間違ってるって、ね、そういう答えの出しよるところまで、信心をね、教えを自分のものにしておかなければならない、それならば、どのような事があっても場合であってもです、ね、それは信心しておっても、はぁほんなこて(?)な事も(?)な事もあるかもしれん、けれどもそういう時にです、教えが私を救うてくれる、私を支えてくれる、ね、そういう意味合いにおいてもです、私共が日頃いかに、教えを信じきる稽古をしておかなければならないかということなんだ。
神様を信ずるということは、教えを信ずるということなんだ、それはお道の信心においてなのである、ね、お道の信心においては、ね、教えを信ずるということ、それを行ずるということから生まれてくるところのおかげ、それが話しを聞いて助かる道とはそれなんだ、ね、そういう生き方の中に私は、ね、必ず人が信じてくれる、子供が親を信じてくれる、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※途中切れ
秋山誠輝
2005年4月25日